地図 - ニーレジハーザ (Nyíregyháza)

ニーレジハーザ (Nyíregyháza)
ニーレジハーザ (ハンガリー語:Nyíregyháza (IPA: /ɲireɟhazɒ/)とは、ハンガリー北東の都市. サボルチ・サトマール・ベレグ県の県都. 国内7番目の人口を抱える.

ニーレジハーザの名前が初めて記録に残されたのは1209年で、当時はただニール(Nyír、カバノキを意味する)とだけ呼ばれていた. 1326年の文献によれば、町には教会が1つあり、エジハーズ(egyház、教会を意味し、文語的には一つの家を意味する)と記載されていた. 15世紀半ばには、町の人口はおよそ400人であった. 16世紀、オスマン帝国がハンガリーを支配した間、ニーレジハーザは荒廃し、1630年代から1640年代にだけ再び定住がされただけだった.

トランシルバニア公ラーコーツィ・フェレンツ2世が率いたハンガリー独立戦争後、町の人口が増加した. 新たな移住者のほとんどがスロバキアからやってきた. 1786年、ニーレジハーザは年に4日間市場を開く権利を授与され、この時から町は7,500人の人口を抱える地方一の町となった. 19世紀初頭、ニーレジハーザは封建領主Dessewffy家とカーロリ家(Károlyi)から自由となったことから十分に裕福となった. この繁栄した時代に町に新たな町庁舎、病院、学校数校ができた.

町の住民は、1848年-1849年独立革命において率先して身を投じ、革命が抑圧された後、市長マールトン・ハツェル(Márton Hatzel)を含む多くの住民が投獄された

19世紀半ば、ニーレジハーザはさらに都市化が進み、町はサボルチ県(現在はさらに大きなサボルチ・サトマール・ベレグ県に含まれる)の県都となった. 1858年、鉄道路線がニーレジハーザへ通り、電話局、主要郵便局、劇場を含む新たな建物が建った. 1911年、トラム路線が完成した.

第一次世界大戦での多くの試みと苦難の後、ニーレジハーザは10ヶ月間ルーマニア王国に占領された. 2つの世界大戦の端境期に、市は封建領主からの解放100周年を祝った.

第二次世界大戦中、ニーレジハーザのユダヤ系住民6,000人以上がホロコーストの犠牲となり、その他に2,000人の市民がソビエト連邦内の政治犯収容所へ送られた(ハンガリー人強制労働). クオ・シナゴーグ(現在は正面の壁が保存され、ニーレジハーザ・ユダヤ人墓地となっている)を含むいくつもの建物が破壊された.

1960年代から、市は急速な発展を遂げた. 現在、ニーレジハーザはハンガリー有数の繁栄する都市となり、教育の中心と人気のある観光地でもある. 音楽イベントや、秋の祭りニールシェーギ・エース(Nyírségi Ősz)開催中には特におびただしい数の観光客が集まる. ヨーロッパ最大のワールド・ミュージックの祭典が毎年9月上旬に開催される.

 
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国 - ハンガリー
ハンガリーの国旗
ハンガリー(Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家. 西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国. 首都はブダペストである. 基本的には中欧とされるが、歴史的には東欧に分類されたことがある.

国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる.
通貨 / 言語  
ISO 通貨 シンボル 有効数字
HUF フォリント (Hungarian forint) Ft 2
ISO 言語
HU ハンガリー語 (Hungarian language)
Neighbourhood - 国  
  •  ウクライナ 
  •  オーストリア 
  •  クロアチア 
  •  スロバキア 
  •  スロベニア 
  •  セルビア 
  •  ルーマニア